音声ブラウザ専用。こちらより本文へ移動可能です。クリック。

NIKKEI

NIKKEI AD Web

広告申し込みに関するお問い合わせはこちら

English Page


CB Valuatorとは?
ブランド価値ランキング
日経企業イメージ調査
実践コーポレートブランド
日経ブランディング

実践コーポレートブランド

パートII
企業広告考~企業・社会・個人の関係から(1)

はじめに


グラフ1 総広告費に占める企業広告費の比率推移

 最近、広告の現場で「企業広告」という言葉を聞くことが少なくなったように思います。「企業広告」という言葉はもはや死語になったのでしょうか。しかしながら、各種の統計を見ると、むしろ「企業広告」の出稿量はここ数年飛躍的に伸びています(グラフ1)、「企業広告」の世界に一体何が起こっているのでしょう。そんな問題意識が、この小論の出発点です。
 結論からいえば、筆者は、この30年の間に「企業広告」は、商品販売のバックアップという役割から、企業経営そのものを支えるという役割に、その役割を大きく変え、その過程でそれぞれの目的に応じてターゲットやメッセージが分化、今では「企業広告」というひとつのくくりでは捉えきれなくなったのではないか、と考えています。
 それでは、なぜ「企業広告」はそのような変化を遂げたのでしょうか。


広告1

 私は昭和50年(1975年)に広告の現場に出ました。当時は高度成長期からオイルショックを経て、日本が成熟消費社会と呼ばれる時代に突入した時代です。我々広告会社の社員は、いかに担当している商品を競合商品から差別化し、より魅力的に見せるかということを学び、それを現場で実践することから自分の仕事を始めました。その中で我々は、「商品広告」とは別に、企業のレベルで他社を差別化する手法として「企業広告」というものがあることを知りました。その代表が1970年の「モーレツからビューティフルへ」(広告1)という、ひとつの時代の終わりを告げながら、新しい時代をつくったキャンペーンでした。
 広告が時代をつくったというのは傲慢に聞こえるかもしれません。それでも、あのキャンペーンが、時代に向けてひとつの言葉を投げ込み、時代の変化を少しだけ加速させたことは確かです。広告に携わる者としては、一企業が発したメッセージが大きな波紋を呼び、時代を代表する言葉になったという事実の中に、企業と社会と個人がひとつの目標のもとにベクトルを合わせて動いていた幸福な時代を感じます。
 しかしながら、時代の変化とともに、このような企業・社会・個人の関係は大きく変化しました。それは、このようなある意味で幸福な三者の関係が壊れ、それをまた再構築しようとする歴史であったような気がします。すなわち、このような日本の社会の中における企業・社会・個人の関係の変化が、「企業広告」に大きな影響を与えていると考えられます。
 もとより「企業広告」は企業が一人称で自らを語る広告です。企業が自分の創造物である商品を語る「商品広告」よりも、企業の自意識や社会への意識、時代認識が色濃く反映されています。「失われた」10年と呼ばれる1990年代には、見るべき「企業広告」は少ないように思われます。それは、この時代、企業が自らを語る自信と余裕を喪失していたことの表れとも考えられます。そして、それはそのままその時代の企業の自意識であり、社会への意識、時代認識でした。
 また「商品広告」が、今ある商品そのものすなわち「商品」の現在を語る(あるいは現在を浮き彫りにするために商品の歴史という過去を語る)のに対し、「企業広告」は、企業の過去、現在、さらには企業の意思という意味で未来まで語ることができます。創業者に始まる企業の歴史を語ることもできれば、現在の業容を語ることもでき、また将来に向けてどのようなビジョンのもとにどのように成長していきたいかを語ることもできます。このような意味で、「企業広告」は、「商品広告」に比べるとメッセージの自由度が高い広告と言えます。
 それゆえに、その時々で、どんなメッセージを選び取るかは、企業の選択に委ねられており、その分だけ企業は幅広い視野で企業・社会・個人との関係を考えなければなりません。したがって、「企業広告」について考えることは、単に広告について語ることではなく、広告から見た日本の企業の歴史を振り返るということでもあります。この小論では、このような視点にたって、この40年間の「企業広告」を跡付け、さらに「企業広告」が今後どのような役割を企業の中で果たしていくのかを考えてみたいと思います。
 現在、コーポレートブランド論が企業経営の中で重要な課題として語られていますが、「企業広告」について単独で論じられることは意外に少ないように思われます。しかしながら、「企業広告」は、企業の意思を直接人々に語ることができる唯一、最大のツールです。「企業広告」に関心をお持ちの方々、また「企業広告」をコーポレートブランド構築のために積極的に活用したいとお考えの方々の一助となれば幸いです。
 三回の連載の中では、第一回は基本的な問題意識と、「企業広告」の進化を考えるにあたっての時代区分、第二回は1990年から失われた10年をはさんで現在に至るまでの「企業広告」の進化、第三回は「企業広告」の現状の広がりと今後の展望をまとめてみたいと思っています。

「企業広告」を考えるにあたっての三つの時代区分


図1 企業・社会・個人の関係の変遷

 前述したように、この考察では企業と社会と個人の関係の変化という視点から「企業広告」の歴史を振り返ってみたいと思います。その時の基本的フレームは図1のようなものです。

(1)70年代~80年代前半

 70年代から80年代の日本は、高度成長から成熟消費の時代に変化し、60年代の年率10%を超える経済成長から4%程度の安定成長の軌道に乗った時代でした。高度成長の時代に国家と企業と個人が一丸となって富の蓄積を果たした日本の社会は、この時代、ある種の満足感を持って、みんなで共有できる次の目標を模索していました。そのような意味で、企業の問題意識は、個人の問題意識と重なり、それはそのまま国家、社会の問題意識でもあったと思います。
 この時代、「モーレツからビューティフルへ」に代表される様々な企業広告キャンペーンが展開されましたが、これらのキャンペーンは、その企業が何故そのメッセージを発しなければならないか、ということよりも、如何にその企業が時代を的確に捉え、人々と共有できる未来をつかみとっているかに主眼がおかれていたように見えます。さらに言えば、そこにこめられたメッセージは、企業の幸せは個人の幸せであり、それはそのまま社会の幸せでもある、という企業・社会・個人の予定調和的な楽天主義でした。
 確かに、公害問題に代表されるような企業と社会と個人の軋轢は潜在していましたが、一部の企業性悪説を除いては、一般の人々は、企業の成長が個人(自分)の成長であり、社会の成長であると信じていたと思います。
 このような企業と個人そして社会が同じベクトルで考え行動していた時代には、企業はことさら自分が何者であるか、自分は何をしようとしているかを表明する必要はなく、時代の気分を捉えながら、自社に対しての情緒的な共感を獲得し、結果として自社の商品が好意的に受け止められ、購入されることを考えていればよかったと言えます。企業は自己主張をする必要はなく、時代や個人の伴走者であるかのように見えていればよかったとも言えます。この時代の多くの「企業広告」に、不思議なほどその企業としてのエゴが見られないのは、そのためと考えられます。

(2)80年代後半~90年代前半

 80年代の終盤から日本はバブルと呼ばれる時代にはいります。この時代は、その前の時代に比べ、社会における企業の役割が大きくなったように見えます。いわば、企業こそが日本の社会の発展を支えているように見えた企業主導の時代でした。当時の日本の株価総額は、米国の株価総額に匹敵するまでにふくらんだといいます。
 しかしながら、この時代は、前の時代にあった企業・個人・社会の予定調和が少しずつ崩れ、それぞれが自己主張し始めた時代であったとも言えます。
 例えば、この時代、日本の企業は初めて社会との関係の中で自社の輪郭を考えるようになりました。好況による多角化に伴って、日本の企業が自ら何者であるかを捉え直す必要が生じ、国営企業の民営化に始まるCIブームがありました。また、NTT株ブームを契機に、従来商品の購入者だった生活者が株の購入者としても立ち現れ、メセナに見られるように、企業の社会的責任、社会貢献も問われるようになってきました。そして、その結果、企業が、社会、顧客、株主等の様々なステークホルダーに問いかける必要が生じてきたのがこの時代です。
 中でも、バブルによる人手不足は、採用広告という新しい「企業広告」のジャンルを生みました。もちろんそれ以前にも採用広告は存在しましたが、日本を代表する重厚長大企業がテレビ広告まで使って自社がいかに魅力的な企業であるかを訴えたということは、この時代の大きなトピックスです。
 いずれにしても、80年代までは、日本の企業が社会の中での相対化された自社という自意識を持たなくとも、個人や社会とともに繁栄を謳歌することができたのに対し、この時代になって初めて、企業は社会に対して自らの存在を説明し、理解を求め、協力を得る必要に迫られたのだと言えます。
 しかしながら、この時代、企業と少なくともその企業内の個人は、まだひとつの夢を追いかけていました。企業の繁栄は、企業内個人への分配という形で個人の幸せにつながっており、その延長に社会の利益がありました。そのため、社会の中での企業の存在が過度に大きくなったとも言えます。さらには、一部の企業のスキャンダル、企業犯罪として現れたように、企業の利益が社会の利益に優先するという考え方すら生まれてきました。
 この時代、「企業広告」は、その目的に応じて様々に分化しました。この時代の「企業広告」の多様性については、第二回で詳しく触れたいと思います。

(3)21世紀

 その後に続くバブルの崩壊と、失われた10年、この時代は「企業広告」低調の時代でした。消費者にとっての価値は価格であり、広告も、価格を軸に展開されることが多くなりました。企業も自らの生き残りを賭けてのリストラに奔走、自らの思いや夢を語る余裕はなかったと言えます。
 そして、90年代の終わりから現在にかけて、日本の企業はそれぞれの経営を再構築し、次の成長に向かってゆるやかな歩みを始めました。
 しかしながら、企業のおかれた環境は、かつての企業至上主義が許される環境ではなくなりました。株主重視の経営という言葉に代表されるように、社会や株主、社員との間合いや、様々なステークホルダーとの良好な関係づくりが重要な経営課題になりました。結果として、社会やステークホルダーとの共生を目的とした、IR広告、環境広告、CSR広告等が、企業にとっての大きなコミュニケーション・テーマとなってきました。
 また一方で、この時代、それまで少なくとも利害が一致しているかに見えた日本の企業と企業内個人の間にも小さな亀裂が走り始めたように思われます。企業業績に対して所得は伸びず、終身雇用や年功序列というこれまで日本の企業内個人を支えてきた枠組みが、能力主義や年俸制というある意味でクールな制度に置き換わってきました。その結果、かつての企業の繁栄が個人の幸福につながっているという考え方は崩れつつあります。それは、これまで日本の企業を支えてきた、高い社員の質とモラルに替わる新しい日本の企業と企業内個人の関係を模索しなければならない時代の到来を意味しているように思われます。それは、最近の企業広告がインナー(社内)を強く意識せざるを得なくなったことに表れているのではないでしょうか。
 以上に概説したように、この30年間、日本の社会において、企業と社会と個人の関係は様々に変化し、その中で、その時々の企業の要請に応じて、様々なタイプの「企業広告」が生まれてきました。
 次回は、その流れを再度跡付けながら、「企業広告」のタイプ分類を試みてみたいと思います。

電通 統合マーケティング局
エグゼクティブ・プランニングディレクター
小林 健一

お問い合わせサイトマップENGLISH