日本経済新聞社が有識者を招き、森林と企業の共創について考える会議「社会課題解決の切り札となる森林」。その第1回会合が2024年7月19日、東京都内で開催された。森林を舞台に生物多様性保全を促進する鍵として、データによる効果の「見える化」技術の活用が議論された。
社会課題解決の切り札となる森林
~脱炭素と生物多様性保全の両立に向けて~
2024年7月19日に開催された第1回 有識者会議
会議の狙い
企業の取り組み不可欠
長野 麻子氏
モリアゲ 代表
地球環境をめぐる危機感に対し企業も対応を迫られている。年初の世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)では、世界の企業320社が自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)の枠組みに従って情報開示を行うと宣言した。日本においても国を挙げての取り組みが加速しており、環境保全に関する施策として第6次環境基本計画が5月に閣議決定された。企業にとって、炭素中立、循環経済、自然再興は見過ごせない要素となり、国民一人ひとりのウェルビーイング(心身の健康や幸福)にも欠かせない。
これらに同時貢献できるのが森林だ。近年は、森林の生物多様性が河口域の生態系にまで影響を及ぼしていることが科学的に証明されつつある。
森林の保全・再生を実施するにあたり、活用したいのがデータの力だ。生物多様性を定量的に把握し、見える化する取り組みに注目したい。
講演
生物多様性を見える化
久保田 康裕氏
シンク・ネイチャー
代表取締役CEO/琉球大学 理学部 教授
生物多様性という概念を直感的に理解するのは難しい。そこで、その価値をデータサイエンスの手法で見える化する研究を、2000年代から開始した。世界中の論文や標本情報などを網羅的に集め、陸や海の各地点に生息する生物種を把握できるようにデータを整備し、さらに、生物種ごとに生息地の気温や降水量などの環境データをひも付けて人工知能(AI)に学習させ、生物種データが未収集のエリアの状況も推定した。これらの情報を重ね合わせることで、どこに何種類の生物種がいるのか、希少種が生息しているのか、地図上で視覚的に把握できるようになった。
この知見を社会実装するため、5年前に起業し、生物多様性に関するデータ分析サービスを提供している。生物多様性を見える化すると、様々な局面での活用が可能になる。
環境保全計画においては、優先的に保全すべきエリアの科学的な判断や、任意のエリアを開発した場合に、どの生物種がどのくらい減少するかを予測することができる。衛星やドローンのデータも統合的に利用し、保全や開発の影響について数カ月単位で追跡することも可能だ。
保全再生の効果を見える化すると、これまでの方法論が再検討されることもあるだろう。環境の保全再生には人の手を加えないほうがよいと思われがちだが、データを検証するとそれが迷信に過ぎないことがわかる。例えば、アウトドア・ビジネスの拠点であるキャンプ場の維持管理による森林の保全再生効果を測定すると、保全については公的保護区に準ずる高い効果が、再生については規制強度が中・弱の公的保護地域を上回る効果があると確認された。
産業界における活用では、社有林の価値や管理の効果の見える化や、企業のバリューチェーン全体の生物多様性への影響を測定してのTNFDへの対応などが考えられる。
生態系サービスの数値的評価は、新たな価値の創出にもつながる。従来、森林の維持管理については、木材の生産や炭素吸収の面での経済的な価値しか評価できなかった。自然再興の観点からの評価が普及すれば、環境に配慮する企業への投資が増えるだろう。また、生物多様性クレジットの創出などにより、森林所有者や林業界に、生物多様性の保全再生という観点での経済的収益がプラスされる仕組みが可能になり得る。
パネルディスカッション
データに基づく自然再興を
小坂 善太郎氏
林野庁 次長
速水 亨氏
速水林業 代表
加藤 正人氏
信州大学 農学部 特任教授
水谷 伸吉氏
more trees 事務局長
橋本 純氏
清水建設 環境経営推進室
グリーンインフラ推進部長
堀川 智子氏
中国木材
代表取締役会長
久保田 康裕氏
シンク・ネイチャー代表取締役CEO
琉球大学 理学部 教授
長野 麻子氏
保全再生の可視化 林業経営で重要に
長野 林野庁は今年3月、「森林の生物多様性を高めるための林業経営の指針」を公表した。その意図や内容を伺いたい。目指す森林像に合わせ適切な指標を選択
加藤 林業の現場を舞台に、ドローンやAIを活用したデジタルトランスフォーメーション(DX)化の研究、実装を進めている。これまで目の前の山林にのみ注目してきたが、衛星データも使いながらグローバルに生物多様性の現状を見える化するシンク・ネイチャーの取り組みには驚かされた。ただ、広いエリアで比較すると、寒冷地や草地などの生物多様性は相対的に低くなる。そうしたエリアの保全が後回しにならないか。
久保田 保全の優先順位は種の多寡だけで決まるものではない。寒冷地や草地は、生物種のバリエーションは少ないが、その環境ならではの生物種が存在している。ある地域の生物多様性の保全再生に取り組むなら、その地域の地図に生物データを落とし込み、その中で比較検討することを推奨する。また、保全活動の際は、科学的根拠を基にした保全目的や場所の特徴に応じて、例えば「野鳥のため」「水辺の生物のため」といったコンセプトを描くことも大事だ。生物多様性に関する指標は多数あるので、コンセプトに合った指標を採用するとよいだろう。
企業の森づくりはエビデンスベースで
水谷 企業の自然再興の取り組みをサポートしているが、企業の森づくりに対する関心はかつてないレベルに高まっている。これを一過性のものにしないためには、森林を科学的根拠に基づきながら整備していくことが必要だ。それが、より多くのステークホルダー(利害関係者)から理解を得ることにつながる。
国際的にも、2030年までに陸と海の30%以上を保全する30 by
30(サーティ・バイ・サーティ)の設定など、自然再興の機運が高まっている。企業側も、今後は脱炭素だけでなく、自然再興、循環経済への取り組みが問われる。投資家向け広報(IR)の観点からも、客観的成果を示しながらの発信が必要だ。
橋本 エビデンスを示しながら林業経営をする企業に投資したいという流れは肌で感じている。木材に依存する建設業は、陸域生態系に影響を与えるセクターであることを自覚しており、その一角を担う企業として、当社も6月末にTNFDの情報開示をしたところだ。森林は建設業にとってサプライチェーンの中で材料調達にかかわる部分なので、そこで数値的なエビデンスが簡易に得られるようになることを期待している。
業界あるいは河川流域などでのまとまった取り組みも必要で、その面からも客観的なデータはありがたい。
小坂 立木価格が下がり、林業がもうからなくなったことが再造林、再投資を阻んでいる。木材の価値を上げる努力と並行して、木材以外の収入源を森林で創出することが重要。生物多様性の価値の見える化は、クレジットの創出など、新たな資金を呼び込む可能性を感じさせた。
長野 生物多様性が客観的に評価されるようになれば、これまで山林所有者が歯を食いしばって森を守ってきた努力も報われる。今後も森林の維持管理が継続できるよう、産官学の連携を盛り上げていきたい。